姫島交流(ふるさと交流学習)の思い出
交流をしていた頃の姫島小学校は、まだ木造校舎でした。 現在の姫島小学校は、別の場所に建てかえられています。志摩中学校姫島分校(中学校)と 合同の校舎に生まれ変わりました。 姫島小学校との交流は、昭和62年から昭和64年(平成元年)まで、3年間続きました。 余談・・・ 姫島の中学生たちは、この頃はまだ「新聞配達」をしていたように記憶しています。 朝1番の船が港に着くと、船から新聞を受け取り、自分が担当する家々に新聞を配達してから 中学校に登校していたと記憶しています。 また、この頃の分校の子どもたちは「牛乳配達」をして、お小遣いをかせいでいました。 貯まったお金は、写真代や、交流費、見学のときの交通費などにしていました。 平成時代の今では、信じられないことです。 |
第1回 昭和62年7月交流 姫島にて
第2回 昭和62年11月交流 分校にて
姫島小学校の子ども達は、分校の子どもたちの家にホーム・ステイしました。
第3回 昭和63年7月交流 姫島にて
第4回 昭和63年10月交流 分校にて
第5回 平成元年6月交流 分校にて (研究発表会も開催)
第6回 平成元年7月交流 姫島にて
平成元年をもって、姫島との交流は終了しました。
2014年度、姫島小学校の児童数は5人です。
(このページは、福岡県篠栗町の 篠栗小学校 萩尾分校のホームページです。)