鉾立山から五塔の滝方面に続く 尾根道沿いにある 謎の石積み

鉾立山の山頂から尾根道を歩き、畝原山への分岐を直進し、五塔の滝方面に下り始めると、尾根道に人工的な石積みが約500mに渡って続いているところがあります。
この石積みは、登山道沿いにあるので、誰でもすぐに分かります。

この石積みは、いつ、誰が、どのような目的で作ったのか不明で、萩尾の謎といえるものです。 

 

 

「樹芸の森」から「丸井茶屋」あたりまでは、現在「陣が田尾(じんがとう)」と呼ばれていますが、見晴らしがいい観光地のようなところに、なぜか、「陣」という言葉が、今も残っています。

室町時代から戦国の世、「陣」は戦略的に重要な場所に作られていたと考えられますので、「陣が田尾」という場所は、この時代の武将たちにとっては、かなり重要な場所だったのでしょう。

「樹芸の森」の所の切り通しから(金出に向かって)左に山道を登った所に「飯盛山」という山がありますが、ここは、その昔「飯盛山城」があったところで、現在も、この山の山頂付近には、山城の本丸や、溝をはさんで二の丸らしき地形が残っています。
(1988年に、調査が行われ、「縄張り図」も作られました。)

篠栗町誌によりますと、萩尾は、その昔、若宮方面から金出へ抜ける交通の要路だったそうで、「・・・・萩尾城・・・・これは山全体を城とした・・・・。萩尾に住む住民は、常に山の仕事や農耕に従い、いざの時には山のところどころに陣して戦った・・・・」
というような文言が記載されていますので、ひょっとしたら、この石積みは、はるか戦国の世、萩尾の人達が作った「陣」だったのかも知れません。 


@鉾立山の山頂から続く尾根道
 

 

 

A尾根道の途中にある石積み
 

B石積みのある尾根
 

C樹芸の森駐車場から見た飯盛山
 

D飯盛山の山頂
 



なお、鉾立山の尾根道も飯盛山の山頂も、展望は、ほとんどありません。


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